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善意のはやにえするとかえって見つかりにくい?|手袋/立ち上がり


[寸評]
物を落としたとは下を探しがちなので善意のはやにえするとかえって見つかりにくいのでは?という意見への解決策。

まちを見立てる企て|手袋/電柱


[寸評]
電柱から輪っかになってぶら下がってる電線に引っ掛けている。
ここに電線を置いた人は落とし物を引っ掛けてもらおうと思って置いたわけではないはず。塀とか手すりとか本来の目的で設けられたものを通りすがりの人が落とし物を置く台やフックに見立てているわけだ。われわれは自分が快適に住むために街を設えているけど、時に街自体にわれわれが使われていないか?と思う時がある。それを乗り越えるためにわれわれが本来の意味を超えて使いこなさないといけない。街の設えをフックや台に見立てる善意のはやにえはその企ての小さくも色んなところで誰でも展開できる事例である。そんな善意のはやにえに僕は惹かれるのである。

まちのウォーカブルさと善意のはやにえ|イヤーマフ/突起


[寸評]
とある街を一日歩き回って見つけたようやく一つだけ見付けた善意のはやにえ。ランチを食べるためのお店を探し回ったけど全くと言っていいほどなく、歩いている人もほとんどいなかった。歩く人がいなければ落とし物の数も少ない→善意のはやにえも少ない。善意のはやにえの数を数えるとまちのウォーカブルさを測ることができるのかもしれない。

[善意のはやにえとは?]


ひとに踏まれないように、落とし主が探しやすいようにフェンスや木などに落し物を引っ掛けておいてあげる行為=「善意のはやにえ」。そこにはひとのやさしさともに、落し物の形状、質感および落とされた周辺環境などの条件から、いかに目立ち、いかに落ちないかを短時間に考え出した行為者=「モッズ」(本家モズになぞらえて)の苦悩やひらめきそして善意の度合いが垣間見える。善意のはやにえはそんなものたちのフィールドワークである。

靴/路上


[寸評]
地面に落ちているだけに見えるかもしれないが建物にきっちり沿っていることから意識的に置かれたと思われる。

落とされたまま道を転がっているのは忍びないので端のほうに置いておく。
横のバリカーに乗せるほうが目立つだろうか落ちてしまうかもしれない。
なるべくいろんな方向から見えるように建物の角に置く。
…という配慮が感じられる。

傘/ガードレール、手袋/木


[寸評]
傘、手袋それぞれの特性にしたがってはやにえの場所が異なる。傘は手前の枯れ木やフェンスにも掛けられるが目立たせることを考えるとガードレールがベスト。一方手袋はガードレールでは固定が心もとない。フェンスに突っ込むことも考えられるが、枯れ木に引っ掛けるほうが痛みが少ない。両はやにえとも適材適所にはやにえされているという好例。

善意のはやにえ論20171223|手袋/鉄板


[寸評]
息子の登園中にここで落としたんじゃないかと、
お迎えのときに同じルートを通って探していたら、あった!落とした手袋が。

地面においてあるのでこれって落ちてるだけだからはやにえじゃないと思われるかもしれないけど、
朝通ったのは写真右手のブロックで舗装しているところなので、
人が歩いているところを避けておいてくれたらしい。

左手に見えているトランスボックスの上の方がいいような気がするけど、
とっさの判断なのでとりあえず歩道を避けられれば、と考えたたのだと思う。

十人いれば十人なりのはやにえの仕方がある。
はやにえした人のストーリーを想像すること
そしてわたしならこうすると考えてみること、
それが善意のはやにえ鑑賞をより楽しいものとする。

善意のはやにえ論20171214|おもちゃ/路上


[寸評]
直立していること、道端に避けていることからおそらくはやにえと思われる。路上ということでこれをはやにえと呼ぶかどうか難しいところではあるが、落ちたものが踏まれないように避けておくという点から善意のはやにえと考えたい。